東京新聞130周年

東京新聞は、明治17(1884)年に「今日新聞」として発刊。9月25日に発刊130周年を迎えこれからも、
東京の地元紙として地域密着や読者の視点を大切に、家族みんなで楽しめる明るい話題をお届けします。
前後4日間、130周年企画として「つたえる愛情。つながる家族」をテーマとした特集を掲載します。

つたえる愛情。つながる家族

過ごすことができて、純粋に幸せだった。

長崎県島原市出身 女優 宮崎香蓮さん

長崎の皆さんへ

 高校時代の通学路を通ると、今も胸がキュンとします。地元は私の青春に出逢える場所。そこで過ごすことができて純粋に幸せだったと思える、大好きな場所です。そんな地元への一番の恩返しは、私がもっと活躍することだと思っています。長崎を活性化させたい!そんな大それたことはできないけど、「長崎へ行ってみたい!島原って素敵!」と多くの人に思ってもらえるように、「長崎県島原出身の宮崎香蓮」として、大好きなお芝居に取り組んでいきます。

長崎工業高等学校(通信制・定時制)の学生たちへ

軟式野球全国大会出場おめでとう!応援に行った私たちも大変やったとが、あの暑い中、数多の試合を乗り越えての大会出場は大変な苦労があったと思います。少ない時間のなかでの勉強と練習を積み重ねての活躍に、夫や長崎工業高校出身者を含め関東在住の長崎県人が応援席に集い大喜びでした。今回の手紙企画に思わず飛びつきました。長工生徒に伝わりますように願って…。岩屋山神社に走り込みに行って来年の出場を祈り、そしてよくばってベスト4を狙っちゃいましょうか!みなさんをこれからも全力で応援します。ツンのでがんばらんば!

「ももちゃん…」おじいちゃんの声はいつまでも…

青森県八戸市出身 女優 横町ももこさん

天国のおじいちゃんへ

 「ももちゃんはいい会社に入って、はやく結婚して幸せになるんだよ」。昔からの口癖だったね。でも、私は芸能界に入ることを決意して、おじいちゃんの気持ちを押し切るカタチになってしまいました。だから、私の初舞台に来てくれた時は、本当に嬉しかった。ありがとうね。あの時、応援に来てくれたから、今の私があります。だからもっと頑張って、もっと活躍して、「青森の星」になります!おじいちゃんが天国からでも見つけられるように。

青森県田子町の恩師へ

澤口先生、原田先生、馬場先生お元気ですか?学校の成績が悪く冬の寒い廊下に座らせられた生徒の一人です。私は現在、教育委員会に奉職。学校現場の現状、先生の生徒に接する時の気持ちのむずかしさを肌で感じ、恩師の気持ちや偉大さを理解しました。半世紀前ふるさとの恩師から荒んだ心にくさびを打ち込んでくれた勉学 の必要性の手紙を頂き、涙で濡れた事を走馬灯の如く思い出します。今更遅いけど「本当にありがとうございます」と声高らかに東京から声を送ります。

福島に結びつけていく。それが私の“使命”

福島県会津若松市出身 民謡アイドル 永峯恵さん

お父さんお母さんへ

 今まで元気に育ててくれて、ありがとう。後先考えないから、心配かけてばかりで…ごめんね。私は大好きな民謡で、元気と笑顔を、福島の素晴らしさを多くの人に届けたいと思っています。福島と東京を、全国を、たくさんの人たちを結びつけること、それが私の使命だから。そして、帰省する度に、温かく迎えてくださる地元の皆さん、「おかえんなんしょ~」の言葉に、いつも心からホッとしています。会津の誇りを胸に、皆さんに期待していただけるような存在になります。

福島県の皆さま

浜通り・中通り・会津、全ての皆さん、俺は皆さんの気持ちが痛いほどわかります。福島の今、これから先の故郷を思い、共に毎日を送って行きましょう!頑張らなくていいんです。マイペースで一歩一歩前へ。頑張るべきは福島を離れた自分達なのだと思っています。支えて頂いている周囲の方々に対し、福島の今をお話しさせて頂いています。いつも一緒です。だから毎日を楽しく送りましょう。

山梨愛。それぞれの愛。

山梨県都留市出身 女優 白須慶子さん

山梨の皆さんへ

 私の人生の選択肢は“山梨を出て、山梨に携わっていく”ことでした。上京して女優という道を歩み、山梨の素晴らしさを全国に向けて発信したいと思っています。今、山梨の民話を朗読するボランティアに携わっていますが、地元の若い人たちにもっと聞いてもらいたい!民話や歴史に触れることで、もっと地元のことが好きになると思います。山梨を盛り上げるために、地域の中心になって頑張る人たちも沢山いますから、私も私のできることを精一杯して、山梨を愛していきます!皆さんも、もっと愛して下さい。

山梨県南アルプス市の皆さまへ

「言葉にしなかった想いを言葉に。」東京新聞にあった手紙募集の、この文字を新聞紙上で見た時、衝撃を受けました。(こんなチャンスがあるのかと)18歳で上京して60年近く。都会での生活と、働きながらの学業、そして定年退職するまでの会社勤め。様々な場面でふるさとを思いながら頑張ってきました。今は好きなスポーツ〈自分では、ゴルフ、マラソン、軽い山登りぐらい〉で、山梨を応援しています。

私らしく、迷いなく。夢に進む。

東京都西東京市出身 歌手・女優 後藤紗亜弥さん

家族のみんなへ

 歌やダンス、そしてお芝居。今の私があるのは、パパとママ、お兄ちゃんのお陰です。みんなが芝居やダンスへの情熱を燃やし続けているから、私も頑張れる!とくに、私とユニットを組んで活動するお兄ちゃん。「兄妹ユニットとして、生きていこう」「お前、焦り過ぎだよ」と、いつも言葉をかけてくれるから、私は私らしく、迷いもなく、この道を歩むことができています。恥ずかしいけど、ありがとう。これからも家族みんなで、それぞれの夢に向かって進んでいこう!

ふるさと三宅島へ

朝焼けに染まる港で、いつも私を出迎えてくれた父の姿は無い。玄関を開けると、「おかえり」と微笑む母はもういない。「ただいま」を言うために、自転車にいっぱいのお花とお線香を乗せ、咲き終えたガクアジサイの中、海辺の坂道を走り下りる私を潮風がやさしく包んでくれた。潮騒の音を聞きながら、一人眠る盆、帰省の夜。木々の緑と海の青、咲き渡る風の心地よさ。過ごした子どもの頃と変わりなく、自然は温かく私を迎えてくれる。ここは私のふるさと、三宅島。

離れたから、大好きになれた。

愛知県刈谷市出身 映画監督 山戸結希さん

地元の皆さんへ

 青春映画の撮影に全面協力してくれた母校、特集上映を組んでくださった映画関係者さん方や、地元の映画館に、本当に感謝しています。地元を飛び出し、映画に出逢ったことで、「愛知はあったかな家族」なのだと心から実感することができました。必ず映画で、恩返ししたいと願っています。そして、私は生き方に苦しんでいるあの日の自分のような誰かに、選択肢のひとつを伝えられたら...と考えています。「こんな生き方もあるんだ」と感じてもらえるよう、運命を切り開いて進みます。

名古屋市の小学校時代の友だちへ

みんな!久しぶり!元気してる?小学4年生で新潟に引っ越して以来、会ってないね。みんな大人になって色んな道に進んでるんだろうな…。疎遠になってしまって寂しいな…。私は今、東京に一人暮らし!女優を目指して頑張ってるよ!なかなか遠くて会いに行けないし、きっとみんなも忙しいと思うから、離れたところからメッセージを送るね!今、ここにいるよ!元気だよ!って、みんなに伝えたくて。女優でプロになって、みんなに観てもらえるようになるまで頑張るよ!!また名古屋に遊びに行って大人になったみんなに会いたいな。

心の隙間を埋めるお姉ちゃんと広島カープ

広島県安芸郡出身 女優 作家 うえむらちかさん

広島のお姉ちゃんへ

 上京した当初は寂しい思いもしたけど、今は大好きな広島カープを球場で応援することで同郷の人たちとつながることができて、心の隙間はなくなりました。上京したから広島の全部を見渡せて、今は広島の素晴らしさを、広島の人の温かさをたくさんの人に伝えていきたいと思っています。女優として、作家として、今の私があるのは、お姉ちゃんのお陰です。わがままな私のことをいつも気にかけてくれて、本当にありがとう。恥ずかしいけど…お姉ちゃんは私の憧れ、大好きです!

広島市に住む両親へ

お父さんとお母さんの元を離れて10年以上経ちました。普段は全く連絡などしないくせに、辛いことがあったときだけ、夜中に泣きながら電話する娘でごめんなさい。お父さんとお母さんがいたから、二人だけはどんなときも私の味方だって信じることができたから、今の私があります。いつも見守ってきてくれてありがとう。私がどんな失敗をしたって、決して責めることはなかったよね。どれだけ悲しませても、いつも許してくれてありがとう。大事に育ててくれたこと、感謝しています。5月の結婚式、来てくれたらうれしいです。

北海道小樽市の皆さまへ

大学4年間お世話になった小樽は、わたしの「心のふるさと」です。風情のある坂の街、美味しい海産物、美しい運河、赤レンガなどの歴史的建造物の豊かさ等々。しかし、小樽市の人口は減少傾向…。小樽がんばれ!「まち、ひと、しごと創生」を先取りして、「若者が住みたい、子供を産み育てたい街」へと今すぐに動き出してください。心から祈り、期待いたします。

鹿児島県姶良市の皆さま

東京に住んで半世紀の歳月が流れ、喜びも、悲しみも、苦しみもありました。しかし私には、いつもそんな時、なぐさめて元気づけてくれるふるさとがあります。ふるさとの思い出、景色が心を癒してくれる、そして元気づけてくれるから、頑張っています。これからも、ふるさとの発展を願い、人生現役で頑張ります。ふるさと、がんばれ!

石川県金沢市 実家を守ってくれた兄貴へ

上京して働く夢を諦めて、実家を守り、仕事の合間におやじ・おふくろを助けて農業をし、年老いた二人を最後まで看取ってくれた兄貴に感謝しています。お蔭で企業戦士として自分の持てる力を思う存分発揮し、悔いのない会社生活を終えることができました。仕事から完全に退いた今、農繁期にふるさとに帰り、小さい時のように兄貴の後ろにくっついて叱られながら、いっしょに農作業ができるのは何よりも幸せです。「来年のことは分からないな」と言っていたのに、今年も無事稲刈りを終えることができました。兄貴、体力維持に努め、来年もいっしょに農作業をしよう。そして、夜はビールで乾杯をしよう。

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